
“いい子”を育てる教育の限界
「先生の言うことをよく聞く」
「空気を読んで、場を乱さない」
「周りに合わせて、トラブルを起こさない」
そんな「いい子」に育てたいと、多くの親は願います。
もちろん、礼儀や協調性は大切です。
けれど、“いい子”でいることがゴールになってしまったら?
「いい子」は、本当に生きやすいのか
大人になってから、思うことがあります。
「いい子」と言われて育った人ほど、
自分の意見を出せなかったり、
本音を口にすることに抵抗を感じたりする。
正しく、静かに、調和的に。
でもそれが、“自分らしさ”を隠す癖になっているとしたら——
その子は、どこで本当の自分を出せるのでしょうか。
優等生が「自分を見失う」とき
実際、成績も良く、問題も起こさずに育った子が、
中学・高校・大学で突然、自信をなくす場面を見てきました。
「どうしたいのか分からない」
「人に合わせることしかしてこなかった」
そんな声が、いい子だった子どもたちから聞こえてきます。
それは、「考える」よりも「従う」ことに慣れてきた代償かもしれません。
世界が求めるのは、いい子じゃない
今、社会で求められているのは、
空気を読む人ではなく、空気の中で「意見を持てる人」。
正解を出す人ではなく、「問いを立てられる人」です。
子どもたちには、
周りに合わせる力ではなく、自分を信じる力が必要です。
リベスタ・カレッジで大切にしているのは、「自己表現の練習」
リベスタ・カレッジでは、子どもたちに問いを投げかけます。
そして、答えは一つじゃないこと、意見が違っても大丈夫なことを、体験の中で伝えています。
「あなたはどう思う?」
そう聞かれたときに、言葉が出てこない子がとても多い。
でも、時間をかけて対話していくと、
少しずつ、自分の輪郭が見えてきます。
「いい子」であること、本当にそれで十分でしょうか?
“いい子”は、きっと大人にとって育てやすい。
でもそれだけでは、これからの社会で自分を守れないかもしれない。
だからこそ、ただの優等生ではなく、
自分で考え、話し、選べる子どもを育てたい。
リベスタ・カレッジは、その土台を一緒につくっていく場所です。
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